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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)5389号 判決

原告

吉田隆男

原告

吉田美緒

右法定代理人親権者父

吉田隆男

右両名訴訟代理人

村上愛三

山崎克之

被告

前村實満

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告吉田隆男に対し金一、〇一三万三、九三二円、原告吉田美緒に対し金一、八〇六万七、八六五円及び右各金員に対する昭和五三年六月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告吉田隆男(以下「原告隆男」という。)は亡吉田美幸(以下「美幸」という。)の夫であり、同吉田美緒(以下「原告美緒」という。)は美幸の子であり、被告は肩書住所地において産婦人科医院を開業している医師である。

2  診療契約の締結

美幸は、昭和四九年八月ごろ妊娠の兆候があつたので同月二九日に被告医院に赴き診察を求めたところ、妊娠二か月と診断され、同日被告との間に、美幸において妊娠中これに伴う身体の異常があつたときは、被告においてその原因を的確に診断したうえ、その症状に応じた適切な治療行為を行うことを内容とする診療契約を締結した。〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、美幸は、昭和五〇年五月八日大森赤十字病院に入院し、右側乳房の管状腺がんとの診断のもとに同月一三日根治的乳房切断手術を受けたが、その後入退院を繰り返すうち、結局、乳がんの全身転移のため昭和五二年二月二一日に死亡した事実が明らかである。

二原告らは、被告は昭和四九年九月以降美幸及びその母ヨリの両名からこもごも美幸の右側乳房に腫瘤があるとの訴えを受けながら、右腫瘤を乳腺炎と誤診し、妊娠中にはよくあることで悪性のものではない旨説明して適切な検査を行おうとしなかつたため、早期に乳がんの根治手術を受けさせる時期を失し、美幸を死亡するに至らしめた旨主張するので、以下、美幸の症状と被告医院における診療の経過について検討する。

1  〈証拠〉を総合すると、次の(一)から(七)までの事実が認められる。

(一)  美幸は、昭和四九年九月ころ右側の乳房に腫瘤があるのを感知したので、このことを同居の家族である実母ヨリ、夫原告隆男らに告げた。ヨリは、以前にその姪が乳房の腫瘤のために左胸を切断する破目に陥つたのを見聞していたため、美幸の症状を重大視し、同人に対し、被告医院における定期検診時に右腫瘤の診察を受けるように促した。

(二)  しかし、美幸は右腫瘤の存在について自ら進んで被告に告げなかつた。そのため被告は、美幸の妊娠五か月の着帯指導の際に、乳房の触診によつて初めてこれを発見した。その際の右腫瘤の大きさは母指頭大程度であつたが、悪性のものである疑いがあつたので、被告は同人に対し、右腫瘤が悪性のものである場合には妊娠中絶を行う必要があることも考えられる旨説明したうえ、確実な診断をつけるために直ちに腫瘤組織の病理学的検査を受けることを勧告し、右検査の結果によつては大学病院にも紹介する旨告げた。美幸はこれを聞いた驚き、家族に相談してから決めたい旨答えて当日は帰宅した。

(三) その前後ごろヨリは美幸に対し、被告医院での右腫瘤診察の結果がどうであつたかを問い糺したところ、美幸は、乳腺炎との診断であつたと答えた。しかし、これに釈然としないヨリが、直接被告から説明を受けるため定期検診日に同人に付き添つて被告医院に行きたいとの意向を示したところ、美幸はヨリに対し、「被告医院で乳房のしこりを切開したところおからのようなものが出てきたので、これを検査してもらつたが、何でもなかつた。」と告げたので、ヨリは安心し、以後右腫瘤について同人に問い糺すことも直接被告に説明を求めることもしなかつた。しかし、当時被告医院で美幸の乳房の腫瘤を切開して内容物を検査した事実はなく、美幸はヨリに対して虚偽の事実を告げたことになる。

(四)  その後も美幸の来院のたびに被告は同人に対し組織検査を受けることを勧めたが、同人は依然としてこれに応じなかつた。

また、昭和五〇年一月一一日午前には、被告医院で毎土曜日に診療を行つている宮下医師が美幸を診察し、同人の腫瘤について被告と同様に悪性のものではないかとの疑いを抱いたため、同人に対し当日の午後に家族を同伴のうえ再来院して被告の診察を受けるよう指示するとともに、被告に対しこのことを報告した。右の指示を受けた美幸は当日の午後ヨリを伴つて被告医院に来院したが、同人は先にひとりで診察室に入り、ヨリの健康保険証を提出して被告に対し、「母の体の調子が悪いので血圧を測つてもらいたい。母にはあまり心配をかけたくないので、腫瘤の話はしないでほしい。」と告げた。

そこで、被告は美幸に対し二日後に来院するよう指示し、次いでヨリを診察室に呼び入れて診察したところ、実際に血圧が最高一八〇、最低一一〇と高く、めまい、耳鳴り、息切れ、胸部苦悶の症状を呈して衰弱していたので、被告は同女に対し美幸の腫瘤について組織検査の必要のあることを告げるのを断念し、同女に投薬しただけで、腫瘤のことについて触れなかつた。しかし美幸は結局二日後には来院しなかつた。

(五)  その後美幸の腫瘤が次第に大きくなり、悪性のものである疑いがいよいよ濃厚になつてきたため、被告は定期検診の際に同人に対し強く組織検査を受けることを勧めたが、美幸は依然としてこれに応じなかつた(美幸が同年三月一八日の定期検診時に被告から組織検査の受検を勧められたが、これを拒絶したことは当事者間に争いがない。)。

また、被告は同年三月一八日には、美幸の右腫瘤の炎症を和らげるため、これに対して初めて消炎剤、抗生剤による対症療法を試みた。

(六)  美幸は、同月二二日に日本医科大学附属第二病院で診察を受けたところ、暗に右腫瘤が悪性のものであることを示唆されたためショックを受け、従来のかたくなな態度をいささか改めるようになり、同月二八日に被告からせめて穿刺による細胞診を受けるように勧められた際、素直にこれを承諾し、穿刺を受けた(なお、美幸は右大学病院で診察を受けた事実を被告に告げなかつた。)。被告が他に依頼して行つた病理細胞診検査の結果によれば、悪性のものではないとのことであつたが、被告は、右検査結果が納得できなかつたので、その後も美幸に対し組織検査を受けるように勧めた。

(七)  美幸は、同年四月一一日に被告から、児頭が大きいので帝王切開により分娩するよう勧められるとともに、出産の際乳房の腫瘤組織の一部を切除させてほしい旨申入れを受けたので、右申入れを承諾し、同月一六日に被告医院において帝王切開手術により原告美緒を出産し、同時に腫瘤組織の試験剔手術の施行を受けた。

被告は切除した右腫瘤組織の病理検査を東京慈恵会医科大学病理学教室に依頼したところ、その結果は腺がんとのことであつたので、直ちに美幸を大森赤十字病院に紹介した。

2(一)  証人Iの証言中には、「昭和四九年の秋ごろ数回にわたり美幸に付き添つて被告医院に赴き、美幸の腫瘤について被告に説明を求めたが、被告はこれに取りあわなかつた。」旨、原告の前記主張に符合する供述があるけれども、右供述が真実であるとすれば、昭和五〇年三月二二日に日本医科大学附属第二病院の診断により右腫瘤が悪性のものであることがほぼ判明した際、美幸は被告に対し重大な不信感を抱いた筈であるが、そのように信頼できない被告医院において美幸がその後帝王切開手術を受けた理由を合理的に説明するのは困難であること、前記1(三)のとおり、美幸はヨリに対し殊更虚偽の事実を告げて同女を安心させ、ヨリが直接被告から説明を受けるため美幸に付き添つて被告医院を訪れるのを妨げたこと、並びに被告本人尋問の結果に照らせば、同証人の前掲供述部分はたやすく採用することができない。

(二) 〈証拠〉によると、前記1(三)のとおり、美幸が昭和四九年秋ごろ自己の乳房の腫瘤につき家族の者に対し「被告から乳腺炎との診断を受けた。」と報告した事実が、〈証拠〉によると、美幸が昭和五〇年三月二二日に日本医科大学附属第二病院において前記腫瘤の診察を受けた際に医師に対し、「妊娠五か月のころから腫瘤に気づき、被告にみてもらつたが心配ないと言われたので、そのままにしておいた。」と告げた事実が、更に、〈証拠〉によると、美幸が昭和五〇年五月に大森赤十字病院で乳がんとの診断を受けた際に医師に対し、「昨年一〇月ころから腫瘤に気付いたが、特に処置を受けることなく現在に至つた。」と告げた事実がそれぞれ認められるが、他方、前記1(三)において認定したとおり、美幸はヨリに対し、被告医院で乳房のしこりを切開したところおから様のものが出てきたので検査してもらつたが、何でもないということだつた旨虚偽の事実を告げて同女を安心させ、ヨリが被告から直接説明を受けようとするのを妨げたという事実があり、また〈証拠〉によると、乳腺症と乳がんの鑑別診断は難かしいが、乳腺炎の症状はこれらの症状と大きく異るのでその診断は容易であり、したがつて一般的にみて医師が乳腺症ないし乳がんを乳腺炎と誤診する可能性は少ないことが認められ、更に、〈証拠〉によると、昭和四九年一一月ころには、美幸の乳房の腫瘤は通常人が見ても容易にその異常を発見できるような大きさになつていたのに、美幸は格別疼痛を訴えず、炎症性の症状を呈していなかつたこと、被告は美幸のカルテに右腫瘤の診断名として乳腺炎との記載を一度もしておらず、また昭和五〇年三月一八日に至るまでは右腫瘤に対して炎症緩和を目的とする対症治療を施した事跡のないことがそれぞれ認められるのであつて、これらの事実に照らすと、美幸が家人及び他の医師に対してした前記報告内容は、真実を誤りなく伝えているものとは認められない。

(三)  もつとも、〈証拠〉によると、美幸のカルテに乳房部の腫瘤についての被告の所見が記載されているのは、穿刺を行う前の段階では昭和四九年一一月五日と昭和五〇年三月一八日の二回のみであるが、右の事実から被告が当初右腫瘤が悪性のものであるとの疑念を抱いていなかつたものと推認することはできない。けだし、個人で医院を開設経営している開業医が患者の症状の推移について、たとえそれが重大なものである場合でもカルテに詳細に記載しないことは、その当否はおくとしてもままありうることであるからであり、現に〈証拠〉によると、被告は美幸に対し穿刺を実施した昭和五〇年三月二八日以降も、数回同人を診察しているにもかかわらず、カルテに右腫瘤について記載しているのは同年四月一一日の一回だけであることが認められる。したがつて、被告が診察の都度右腫瘤についての所見を毎回洩らさずカルテに記載していないとしても、右は、被告が右腫瘤を単なる乳腺炎と誤診していた証左とはならないものというべきである。

(四)  〈証拠〉によると、乳がんの早期診断のための検査方法としては組織検査以外に種々の方法があること、組織検査は腫瘤の切開を行つて組織の切除を行う観血的検査方法であるため苦痛及び創痕を件うことが認められるが、他方において右各証拠によると、組織検査以外の検査方法は、その確実性が必ずしも高くなく、確実な診断を得るためには早期に組織検査を行うことが最も望ましいこと、乳がんは血行性転移を早期に起こしやすく、特に妊娠期の乳がんは一般に進行が速やかで予後が悪く、リンパ節転移の度も高いので、根治手術を行う前に人工流産、人工早産を行つた方が良いと考えられていることが認められる。したがつて、前記1(二)において認定したように、被告が美幸の乳房部の腫瘤を発見した際に他の諸検査を試みようとせず直ちに組織検査を受けるよう同人に勧告し、右腫瘤が悪性のものである場合には妊娠中絶を行う必要があることも考えられる旨説明したことは、なんら不自然と目すべきものではない。

3  そして、他に本件に現われたすべての証拠をしさいに検討しても、前記1の認定を覆して原告らの前記主張事実を認めさせる資料は見当たらず、かえつて前記1において認定したところによると、美幸は、昭和四九年九月ごろから乳房の腫瘤を自覚し、実母ヨリから事の重大性について警告を受け、早期に被告の診察を受けるよう勧められたが、被告に対しては自発的に乳房の異常を申し出ず、同年一一月五日の定期検診の際に右腫瘤が被告に発見され、以後被告から何回も組織の病理学的検査を受けるよう勧告されたのに、これを受検することを拒否し、その間家人に対しては、乳腺炎と診断されたとか、切開して検査してもらつたが異常がないと言われたとか虚偽の事実を告げて家人を安心させ、昭和五〇年一月一一日に代診の宮下医師の指示により実母ヨリを連れた午後に来院した際も、ヨリが高血圧症であつたことを奇貨として被告に頼み込んで前記腫瘤の組織検査の話がヨリに伝わらないように画策するなど、出産直前に至るまで徹頭徹尾組織検査の受検を忌避していたものである。

なお、右のような美幸の態度、行動は、事後的に第三者の眼から見れば正に自殺的行為のように思われるけれども、がんその他の悪性疾患の徴候の疑いのある症状を自覚した患者の立場になつて考えれば、万一右症状が悪性のものと診断された場合に生ずる結果に対する恐怖と、悪性のものであることを否定したい願望に起因する気安めのための希望的観測から、医師の検査、診断を受けたくない心理状態になることも決してあり得ないことではない。殊に本件では、美幸は、乳房の腫瘤が悪性のものと診断された場合には、乳房を失うこととなるほか、妊娠中絶を余儀なくされることがあることを知つていた反面、多少手遅れになつても生命にかかわるとまでは思つていなかつたふしがあり(証人Iの証言によれば、右腫瘤について美幸に警告を発したヨリですら、最悪の場合でも片腕を失う程度であると考えていたことがうかがわれる。)、美幸の妊娠は待ち望んでいた初めての妊娠であつたため、同人は、妊娠中絶の破目に陥ることを極度に恐れるの余り、出産直前まで組織検査の受検に消極的な態度をとり続けたものと推認されるのである。

4  そうすると、美幸の乳がんの確定診断が遅れたのは被告の過失によるものでなく、もつぱら美幸本人が被告から乳房の腫瘤につき病理学的組織検査の受検を勧められながら出産直前までこれを忌避し続けたことによるものと認めるほかはないので、右診断の遅延に起因する美幸の死亡につき被告に診療契約上の債務不履行責任又は不法行為責任があるとすることはできない。〈以下、省略〉

(近藤浩武 大澤厳 瀬木比呂志)

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